ホリエモン&NISHINO共著 「バカとつき合うな」第3章前編
はい、では最終章ですね。
前回の記事の続き書いていきたいと思います。
第3章 ふたつの「バカ」
堀江貴文25 西野亮廣という「バカ」
NISHINO26 堀江貴文という「バカ」
堀江貴文27 ぼくは「バカ」
NISHINO28 ぼくも「バカ」
1項目ずつまとめを述べていきます。青はホリエモン、赤はNISHINO
25 西野亮廣という「バカ」
【西野亮廣は、バカである】
西野くんは現代で一番見本になる、最良のバカのひとり。
いいバカは人よりも多くバッターボックスに立つ。バットを振らなきゃヒットを打てないんだから、バットを振った回数が多い人ほど成功する。西野亮廣はとにかくバットを振る。
僕が若者に手本にしてほしいと思ったのは、西野くんが会社の顧問を3日で辞めたこと。
西野くんに対して決定的な無礼があったので「違う」と感じて速攻で離れた。この決断と速度感を若い世代に見習ってほしい。
https://www.youtube.com/watch?v=VCdGbE4xxS4&t=700s
「違う」と思ったら辞めればいい。
会社を辞めたあと、常識に縛られたバカはいろんなことを言ってくるかもしれないが無視すればいい。バカの声と付き合うな。
【西野亮廣は、利口である】
西野くんは速いすなわち頭がいい。頭がいいということは、速いということ。
IQがどんなに高くても余計な思考で速度が出ないというタイプの人もいる。余計な思考を捨てることが即、頭のよさにつながる。
彼の愚痴を聞いたことがない。時間効率意識が優れていて、そんなことよりも話したいことがたくさんあるから。
【西野亮廣は、聞き上手である】
ぼくは他人に興味がない。知り合いなんて増やしたくない。握手を求められても俺には何も得るものがない。そこが西野くんとの一番の違いなんでしょう。
200人の相談を8時間聞くなんて、ぼくにはぜったいに無理。まったく共感できない。
そのあたりの差なんだろうけど、西野くんの方が普通の人のことを知っている。
時間意識の高い彼だから、そこになにかが得られると思ってコミュニケーションをしつづけているのでしょう。そしてぼくにはない能力をこれからも獲得していくのでしょう。
【西野亮廣は、芸人である】
西野くんは今でこそ多角的な活動をしているけど、元はお笑い芸人。そんな西野くんがいま近くにいることは、冷静にみると存在がひときわ謎めいている。自然とここにいるけど、別の場所にもいそう。それは彼が、笑いを大事にする人だからなのかな、と考える時がある。
僕は正確には「バカとつき合えない」のだけれども、西野くんはその気になれば付き合うこともできる気がする。
江戸時代、芸人だけは通行手形がなくても芸で通してもらえたそう。
西野くんの身のこなしには、社会のどの階層や集団にも入っていけるだろうと感じることがある。
26 堀江貴文という「バカ」
【堀江貴文は、バカである】
以前DJバスという企画をやりました。バスの外で堀江さんが通行人溢れる街中で、「U.S.A」を全力で踊りました。
バカでしょ。
別にうまくもないし、踊れていないんだけど、率先して全力で踊った。あの人は生まれながらのファーストペンギン。最初に出ていく人が下手なほうが後の人がやりやすいということをわかっててやったのだと思う。
「他人に興味がない」っていつも言っているけど、他人の心理を誰よりもわかっている人。
堀江さんはいろんなものごとを否定する。だけどそれは、
「お前は変われる。バカな部分もある。だけどそれは変えられるものだ、諦めるな」
そう言い続けているように僕には聞こえる。
【堀江貴文は、母である】
堀江さんはホリエモンを演じている。言いたいことをバシバシ言って、空気を読まず既存の価値観を否定していく。攻撃性を感じる人もいるかもしれない。
でも、そうではない。あれは堀江さんを慕ってくる新しい世代の感性を古い考えの人たちから守るために必死に戦っているのだと思う。ひな鳥を守る親鳥と同じように。
「はねとび」も好調だった2000年代に堀江さんは社会のルールを換えようと戦っていた。自分の後に続く世代が、息苦しさを感じずに、より自由に行動していけるように。
鬼気迫る表情で我が子を守り抜こうとする母親。そんなイメージを僕はホリエモンに持っている。
【堀江貴文は、少年である】
ホリエモンが母親なら堀江貴文は少年である。
メディアなどの周囲の目がないときはとにかく無邪気だ。酔っぱらったときなんて、ダメダメで、ブレブレ。
堀江さんが遊ぶときは全力で遊ぶ。HIU(堀江貴文イノベーション学校)の活動とか、ロケット開発にかける情熱とか、全部素直でストレート。
彼が繰り返し発信している「やりたいことをやれ!」というメッセージは、ウソ偽りなく、彼の本心から出ているのだと思う。
そういう姿を見ていて思うのは、ある意味子どもの時にできなかったことを取り返しているようにも見える。
【堀江貴文は、人間である】
彼が既存のシステム、たとえば学校制度の批判をするのは東大に入って一度は身を置いたから説得力がある。自分自身が、社会によって、時間を無駄に奪われたという実感が強いのだと思う。
だからこそ、後続の若者を同じようにさせたくない。という思いで既存のシステム批判を繰り返しているのではないかと思う。いろんな人の思いを背負っているように見える時がある。
徹底的に無駄を省くという合理主義な堀江さんも、もちろん真実の堀江さん。
だけれど、彼の原動力は少年期をやりきれなかったというコンプレックス。
結論。堀江貴文は、人間である。
ここまで読んでいただきありがとうございます。ちょっと長くなりそうだったんで3章は一回ここで切ります。
今回はお互いの分析をしていただいたっていう形ですかね。
2人の感性の違いもわかって非常に面白いですね。僕らはホリエモンに守られていたんですね。NISHINOの主観による解釈なので本心はわからないですけどね。
ではまた次回。